人は色々なことを考えることが出来る
心の中で思い考えて
心の中で描く風景画は思いのまま
己心に素直な「心絵」を描くことが出来る
しかし
浮世風景の中では
限られた浮世舞台ではなかなか
己心の思う「心絵」を描き出すことが
出来ないような
それでも一度や二度
いや何度でも挑んでいかなくては
どうする。。。。
人はこの世に生まれた限り
動き続けなくてはならないような
どのような形であれ世の流れの中で
考えながら動くのであれば
心の思う一番いい「考え」で
一番よい形で「動きたい」ような
出来るできないは別問題だ
兎に角右足でも左足でも
両手でもいい
一歩でも半歩でも
己の何かを動かさないと
生きてる意義が無いような。。。
先ずは「動」だ。。。動いて動いて
その結果に又「考える」そして動く
人生とはやっぱり繰り返しが
諦めないことがいいような。。。。。
先人のパスカルだったか、忘れたが。。。「人は考える葦」とか言っていたような。。。そうだよ。人の流れの中に立つ「己一人」であっても、一人一人は違った考えを持ちながら、浮世風に吹かれながら、それなりに生きているような。。。どうせなら「考えないと。。。。